なんとなく、アウトプットを止めてみたけれど

言いたいことはたくさんあったのに、
やっぱりそのタイミングで書かないと風化するか忘れちゃうかどっちかで、
結局形に残らない。もったいないのかなと思う。

前の更新が4月末。
一ヶ月半ちかく更新を止めてみたら、その分だけ言いたいことが溜まって、
その分伝えたいことを選んで言葉にすることができるから、
なんというか「洗練された何か」が生まれるんじゃないかと思ったけれど、全くの見当違いだった。

1ヶ月半を振り返ってみると、
今までの人生経験上ありえないだろうと思っていたことが幾つか起きて、
そのことに感謝しながらも、それでも今の自分のやっていることが、
100%将来を楽しむための布石になっているのか不安になる。

失敗に打ちひしがれることも、振り返ってみて遠回りをしていたと気づくことも、
ストレスをためて自己嫌悪の中で「うわー、死にたいぃぃぃ……」とのた打ち回るのも
それほど問題じゃない。
同じ所に居続けて、日常に慣れて、毎日をそれなりに効率よく回すことが出来て、
それを成長と錯覚して、「今いる場所が自分の居場所だったんだ」と思い込んで、
本当にやりたかったことに気付けないまま、
時間を無為に過ごしていたという結果が将来つきつけられるのを想像して恐怖している。

自分に向き合わず、自分自身がやりたいことを言葉に出来ないまま、
理性でなく、感情で突き進んだ結果、我に返って手元に残ったものを見て、
ラクタばかりだと愕然としないように、と意識はしているものの、
行動が伴わないなら、それは無意味だよなぁとツッコみながら、同じ場所をぐるぐる回っている気がする。


閑話休題

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1306/07/news085.html
やりたいことを見つけることは別に必須じゃない。
けれど出会えた人のほうが強いと思う。そして何も好きな事はひとつに絞る必要はない。
出会うために必要な手段はシンプルで、やってみることだ。
初めてでも、一見自分には合わなそうでも、将来的に役に立たなそうでも、
どんなマイナス要素が頭のなかに思い浮かんでも、実際に自分がその体験の中にいると、
始める前には想像も出来なかった思いが頭のなかに浮かんでくる。
物怖じせずに、なんでも挑戦できる人のほうが人生を楽しめるんじゃないかと自分は思っているのだけど、
根拠は「そのほうが好きなものがたくさん手元にある人」になれて、
「やらない理由が、実際にやってみたけれど自分には合わなかったと自信を持っていえる人」になれるからだ。

やりたい、挑戦したいと思った時に、
お金がないから、体がついていかないから、の2つの理由がネックになってしまわないように、
お金をそれなりに残しつつ、体調管理に気を配りながら今後も生きていこうと思う。

実際に挑戦したいと思えるものに出会える確率は、動き回っている人のほうが圧倒的に高い。
だからこそ、時間を変え、場所を変え、人を変え、自分の価値観を変え
過去の自分と違った位置に自分を動かしながら、新しいこと、新しい視点に出会えるよう、
努力してイカンよなぁと意識するようになった。

そんなこんなで、日本に帰ってきてもう4ヶ月たった。
新しい職場に居場所も出来て、仕事の延長線上でこれから会いたかった人達、新しい人達に
どんどん出会えていくようになると思う。
でも、それでも不安になる。
果たしてこれが自分の目指したビジョンにとって妥協になっていないか、と。

会った瞬間、誰からも「ちょっと話を聞かせてよ?」と
真剣に言われる、そんな人になりたい。
http://www.youtube.com/watch?v=3T3vt1-kwhg
世界中の中で一人だけでも構わないから、
その人に「あなたに憧れています、会うのが夢でした」といわれる
人生を過ごしたいと思う。
そのための生き方をするための選択を、今自分は出来ているのか?

出来てない気がするんだよなぁ……
どうしたもんかな……