ダメな一日で今回もスタート

今日、ちょっと長いです。

荷物を整理して、すぐにでも旅に出れるところまで
準備したまでは良かったのだけれど…
買い物から帰ってきて、一週間分のストックとして買ってきた
お菓子を寝るまでに平らげてしまい、
ニコニコ動画を見ている最中に、Adobe Creative Cloud
キャンペーンで、日本で今なら3000円/月になっていて、
「おいおい、めんどくさい手順踏んでアメリカ版契約したのに、
 日本版のほうが安くなっちゃうってどういうこと?
 解約するにも違約金を残ってる期間の費用50%分払えって…オワタ\(^o^)/」
となりふて寝。
寝て起きて食事をして、走りに行こうとジムへ向かったら、
祝日のため21時前にしてすでにクローズ。
再びニコニコ動画を見ながら寝落ち。
収穫といえるものは、
ハワイでの最初の一週間の宿としてユースホステルの予約をしたことぐらいだ。

これじゃあダメなんだ。
うん、ダメすぎる。なので今から頑張ります。

さて、本題。
こんな休日を過ごしている奴が言っても説得力が…という内容なのは
重々承知していることを書く。

「凄い」という言葉を単独で使いたくないということ。
「頑張れ」という言葉を使うのと同じくらい無責任な気がするからだ。

「凄いですね」という言葉をなんのために使うのか、と聞かれれば
相手に向かっての賞賛だと思うのだが、実際のところは少し違うと思う。
「凄いですね」と単独で使った場合、あなたは凄い、私は凄くない、という
目には見えない溝を自らつくり出してしまっている気がする。
それは相手に対して凄く失礼だから、使いたくない。
いうなれば、その人が「凄い」の一言で言い表せないくらいの努力をして、
成し遂げた何かを「結局は才能があったからでしょ」と切って捨てるくらい
乱暴な表現だと自分は感じる。だから嫌だ。
「あなたは凄い」と簡単に賞賛されるよりも
「どうやって成し遂げたんですか?」と興味を持ってもらえたことのほうが
よっぽど嬉しい、そんな人がたくさんいると信じている。
だから自分は「凄いですね」のあとに
絶対「どうやったら僕も同じことを出来ますか?」と言いたい。

「頑張れ」という単語も好きじゃない。
「頑張れ」というのはたやすい。
それが相手を鼓舞する言葉として社会的に共有されていることもわかっている。
けれどその言葉の裏に「もっとやれることあるでしょ」という意味を
言いながら自分が込めてしまっている気がする。
言われたほうがどう思うだろうか、とつい考えてしまう。
「もう、オレMAXで努力してるのに『頑張れ』って、どゆこと?」
そう思わせてしまうのではないか、と結構気が気じゃない。
人生の先輩や達人から「頑張れ」は許容できても、
友達やまして後輩から「頑張って」といわれたら、
気持よく受け入れられない瞬間がどこかにあるんじゃないかと疑ってしまう。
その点では英語の「You can do it!」を言うのは気が楽だ。
でも日本語なら「できるよ!」「できますよ!」だが、
これも先輩に向かって少し言いづらい。言葉は難しいな、と。

自分は「才能」という言葉を信じない。
使った瞬間、思考が停止するからだ。
「あなたと私は違う」のは当たり前で、それを理由にしたところで、
結局自分が今と違う何かになれる気がしない。
成功するために重要なのはスタート地点じゃなくて、過程であり手段だ、と思う。
人と自分の立ち位置を比較したってしょうがない。
いつだって注目すべきは「どうやったか」だ。

…ということを、ホノルルマラソンサブスリー達成した後、
改めて言いたい。だから「『昨日より』頑張る!」

それではまた明日。